会期:平成31年3月2日
会場:東京都美術館 2階 第1展示室
昨年から始まりましたフリートーク。
司会はやはりこの方!池谷南流事務局次長
トークは佐々木早風常任理事、仲本竹峯常任理事がご自身の作品について解説と質疑が行われました。
詳細な議事録が手に入りましたので、ご出席できなかったみなさん、再度お話を聞きたいと思われているみなさんと共にジックリ伺いましょう。
司会:本日はようこそ日本書道学院主催 書団嘯龍社展にお越し頂きましてありがとうございます。例年に則りまして今年度もフリートークの時間を設けさせていただいております。本日は皆様の正面にあります佐々木早風氏の書について、相対しまして後ろ側にございます仲本竹峯氏の作品についてのトークということで進行させていただきます。進行は日本書道学院の池谷南流でございます。よろしくお願いいたします。(拍手)
それでは、本年度運営委員 日本書道学院常任理事 佐々木早風氏の作成の意図や、また、思いですとか、作品についての工夫ですとか、少しだけご苦労談なども交えていただいても良いかと思いますけれども、よろしくお願いいたします。(拍手)
佐々木:紹介を頂戴致しました佐々木早風です。作品についてのフリートークということでアンチョコを作ってまいりました。釈文は作品の横に書いてありますように、『清流無間断 碧樹不曾凋』、清流はとうとうと流れ、青い樹は生気をなくすことはないという解釈のもとに、自分なりの思いをこの言葉の解釈を思いながら作品を作っていました。それだけは皆さんにお伝えしたいと思います。
今の自分がどのように書けるのかといったときに、書く作業に関して言えば、敢えて作業と言わせていただきますが、その作業については自分が楽しく気持ちよくかけること、というようなことで、作品を作成していることを皆さんにお伝えしたい。
ボクが書を書く時は、楽しくとか、気持ちよく書きたい。(書道は)11〜12歳ぐらいから始めて45くらいになりますけれども、その45年間なぜ続けてきたのかというと、たぶん書いていることが楽しいからで、楽しいということが書を続けている原動力なのかなと考えています。その気持ちいいって何なのか?(それは)何かを伝えたいということだと思います。ボクは書の世界で文字を書くというのは、墨を使って、筆を使って、紙を使って表現するというのが基本としてあると考えると、ある程度制約がある芸術だと思っています。その制約の中でいかに自分の表現したいことを伝えられるか、それは自分が気持ちよく書けないと伝わらないだろうなとボクは考えています。書いていて気持ちが良いのは、好きな、書きやすい文字を書いている時です。好きな書きやすい文字って何なのといわれると、それが気持ちよく書けているということだろうし、気持ちよく書けているということは、たぶん、何も迷うことなく書いている。自分としては好きな、書きやすいというか、思い通りにかけた時がたぶん自分の思っていたものが表現されたものなのではないかと考えています。
五感、視覚・嗅覚・味覚・聴覚そして触覚をフルに使って表現するということから得られるものが書道にあるんじゃないかと思っています。筆を持って墨を含ませて紙の上に書くといったときに、その紙の上で引きずられている感覚、直接指が触っていなくても筆の先と筆管を通して自分の指に伝わって脳で感じるということが触覚です。気持ちよく書けているということは、その触感がきちんと伝わっていることだと思います。五感のうちの一つは触覚、それから見るという視覚、引きずられているとか液体を使っているという音つまり聴覚、墨の匂いの嗅覚、こういう感覚を研ぎ澄ませてやることが、いろいろな気持ちよさにつながっていくと思います。ボク的には書道の世界とはそんなのではないかなと、自分の気持ちいいというのがそういうことなのではないかと思って、個人的な感想ですけど非常に楽しく気持ちいい世界なんじゃないかということを皆さんにお伝えできればと思います。
今日はアンチョコを用意したんですけれども、半分くらいしかいけませんでした。もうちょっと面白いことも書いてあったんですけど、いい時間になりましたのでここで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
司会:ご本人はアンチョコに読んでない部分があるとおっしゃっていましたので、その辺を穿り出すようなご質問をどうぞご遠慮なくしていただけたらと思います。
質問者A:お家で書かれているのですか?
佐々木:これは練成会でずらっと並べて書きました。文字は決まっているので、書き方もある程度決めたうえで、ボクの言い方で言えば、まず、エアーで書いて、あとはさっさかと、墨をボールに入れてパパパパっと書いていきます。
さっきの話の中で気持ちいいといったときに、筆が触っている感覚というのを話しましたけど、エアーでやってみることである程度自分に流れなり、書いている感覚を覚えておいて、あとは気持ちよく引っかかっている感覚を味わいながら書いています。引っかかっている感覚は古典の鑑賞、良いものをたくさん見て、こんなふうに書いているなとか、こんなやり方をするとこんな字になるんだなということから始まって、自分である程度真似して練習していく。真似すること、練習する経験がつながってくると思っています。
質問者B:文字を選ぶとき、どういう状態で選んでいるんですか?
佐々木:文字を選ぶときは、誤字だといわれないような字をまず選んでいます。よく五體字類を使うと、ちょっと特殊な字があったりする。五體字類という辞典もどきのものに書いてあると正しいものだと思っちゃう人が多いかもしれませんが、あれは結構間違った文字もあるので、世間でよく言われるような、これは間違いじゃないよなというような書き方を選んで、それから自分で下書きをする。下書きといっても半紙に書いているんですけど、半紙に書きながら形をちょっとアレンジしていきます。
質問者B:ありがとうございました。
司会:ありがとうございました。ほかにはよろしゅうございましょうか。佐々木先生のお話にもありましたイメージトレーニングもエアーでなさっているようで、スポーツばかりではなく、書にもイメージトレーニングが大事だということが伝わってまいりました。では、もう一度佐々木先生に大きな拍手をお願いします(拍手)。
では、続きましてちょうど向かい側にあります仲本竹峯先生のお作品の前にご移動をお願いいたします(異動)。
では、本日のフリートークお二人目 仲本竹峯氏。今年度の運営委員 日本書道学院の常任理事をされていらっしゃいます。仲本先生、よろしくお願いします。
仲本:よろしくお願いします。仲本竹峯です(拍手)。何から話しましょうかね。一応アンチョコの用意はしてきたのですけれども(笑い)。
今回書きました文字これは『歓楽』です。『カンラク』というのは簡単に言うと歓楽街のカンラクです。『歓』という字は「よろこぶ」、『楽』は「たのしい」。ですから、歓び楽しい字を書きたいなというところです。ここのところ私は8・8という大きさに一文字『曙』ですとか『暁』ですとか、日偏の字を3年ぐらい書いていて、その日偏の字のほとんどが日が昇る状況ですとか、日が煌々と照らしている状況ですから、明るい乃至は力強い明け方の雰囲気を出したいと思って書いていました。ずっと1文字を書いていたのですけれども、ちょっと画数を増やそうかな、四文字にしようかなとも思ったんですけど、この大きさに四文字ですと四分割されてしまって面白くない。じゃあ2文字にしようといったときに、言葉を選ぼうというところから入りまして、辞書をバラバラ見ながら選んできました。
この『歓』という字は、通常は旁として『欠』がついています。この旁は実は『けつ』ではなく、象形文字的には人が立って叫んでいる状況なんです。偏の方は古い書体になっていますけれども、目の大きなトリで、一説にはコウノトリといわれています。これが目玉、これが嘴で、これは体なんですね。本来ですとこの2本はこちらではなく、こっち、足なんですね。体があって足が生えているというのがもともとの形なんですけれども、漢字にするにあたって足が邪魔だからこっちに向き直して4本にした。で、コウノトリが大きな声でクァークァーと叫んでいる状態がとても「喜ばしい」状態。『楽』という字は鈴のような楽器を持っている、乃至は、その楽器そのものを表したもので、音楽の『音』は「オト」で、『楽』というのが「楽器」のことなんですけれども、その楽器は、ちょうど鈴なりのものを持っている人がそれを振っているという説と、『楽』の上の部分は両方に鈴がくっついていて、下の部分が持つ棒で、これを持って振る道具という説があったりする。音が出ると楽しい。喜ばしい、楽しいで『歓楽』。『歓』は旁が「さけぶ」ではなくて「こころ」であるものもあります。今回は「こころ」の方を選んで『心がメチャメチャ楽しい』という状態を表現したいなということで文字を選びました。
次にどういった表現をしようかなというところですけれど、『歓』はトリですから飛ばそうということで、思い切り羽を広げて飛ばして、と考えたんですが、結構、羽の部分が大変でした。大きく書いたり、小さく書いたり、細く書いたりしたんですけれど、最後は、まあこれがいいんじゃない、という形で、これになりました。書けた瞬間は「ヤッター」。だけど、佐々木先生が書いていて楽しいかどうかと言われていましたけれども、こういう大きい作品は書くスペースもないので、十乃至十五枚くらいしか書けないのですが、何枚か書いて、「あっ、これは楽しいな」、ちょっとちっちゃかったかなと思いながらも一番楽しくかけたのが取られたので良かったと思いました。『楽』の方は楽しくて「ヤッター」というようなイメージの形で、この2文字を、1文字の『カンラク』にしたかったんです。ですから、これ(この右側)が偏で、これ(この左側)が旁です。ボクはずっと1文字の作品を書いてきたんですけれども、今回2文字にして、4文字ができなかった。それは偏と旁にならず、どうしても四つの字になってしまうので、1つの文字にするには2文字が限界というところで、今回はこんな作品になりました。まだ5分しかたっていないんですね(笑い)。
佐々木先生の方は墨を磨られていますけれど、私は出来合いの墨です。青墨系の墨ですが、ちょっと時間をおきすぎて青みが消えて黒くなっています。筆は直径10センチメートルぐらいで、穂先はたぶん22〜23センチメートルぐらいです。そういう筆で書くと、どうしても太くなりがちだったり、逆に、気にしすぎて細くなるため、なるべく見栄えとしては細いところ、太いところを出して、けれど滲みがある墨なので太くなりすぎると(線が)潰れてしまうから、潰れないように筆を運ぼうとするときに若干考えている。実は筆を運び出しちゃうと、外の音は私の耳には入ってきませんので、たぶん何も考えずに書いているのだと思います。練成会に来られている方は、Bumbで夜書いているときに隣で鞭の団体が(笑い)鞭をパシンパシン鳴らしているのを聞いて、書く前はあの音がすごく気になるんですけれど、一回筆を持って紙に置いてしまえば、もう気にならず、何も下界の音はなく作品をかいているんじゃないかと思います。ただ、あまりたくさん書く時間がないので、先ほどの佐々木先生のようにエアーはやります。イメージトレーニングして、それがこの四角い中で絵ができてから書くようにしています。ただ、なかなか出てこないんですよ。うまくいった時ぐらいですね、出てくるのは。ほとんどの時は出てこないで書いていますから全部無駄、ハイ駄目、ハイ駄目の作業になります。特に若いころは、百枚書いて一枚、それも初めの3枚目か5枚目がとられて、あとの95枚あるいは97枚は全部ゴミ箱行き。皆さん字を書く時にはこんなふうに書きたいというようなイメージを持たれると思いますけど、そのイメージがはっきりしているのは1桁の枚数のころなのかなと思います。それ以上たってしまうと、そのイメージの焼き直しが続くだけで、線は良くなるかもしれませんけれど、あまり変わり映えしなくなって、一番初めに書いた線の方がいいイメージで書けていていい線が出ているということで、最初の3枚目ぐらいが取られて後はゴミ箱。ボクは何で毎回九十七枚も無駄にしているんだろう、何でうまくならないんだろうと悩みましたけど、或る先生から言われたのは、この90枚以上を書いているから次の時の3枚目が書けるんだよと、これを書かなかったら次は書けませんと、それが練習なんだよと言われました。筆を持って書き続けるという作業は決して無駄ではないので、(もしかすると皆さんも錬成会で)「いっぱい書いたのに、とられたのは結局前の作品だった」ということがいっぱいあると思いますけれど、その前の作品を作るさらにその前にそれだけの練習をされているということだと思います。私もできればここにある多字数のような作品に本当は挑戦したいんですが、たぶん私がやると今度は千枚書かなきゃならなくなるんで止めています(笑い)。まあ取り敢えず、今後もこういう1枚で何か1つの文字をイメージできるような作品をしばらくの間は作っていきたいなあと思っております。ハイ、以上です。
司会:ありがとうございました(拍手)。作品の制作者だからこその、そのプロセスでの気持ちですとか、それに取り組んでいるときの書に対する取り組みの技術ですとか、様々なことが聞こえてきたように思います。何かご質問等ありますか。私はなぜ日偏の作品を何年もこだわっていたのにこれに、変わった転換点の話を聞きたいなと思っているんですけれども(仲本理事の笑い)それは後回しにして、今だから教えていただけることもたくさんあろうかと思います。ご遠慮なくどうぞ。
質問者:今お伺いしていて、2文字を1文字のイメージで書かれたということですが、落款印の位置は一文字であれば右下に推すことも可能性としてはあるのかなと思いましたが、敢えて通常よくある落款の位置にされたのはどうしてでしょうか。
仲本:落款の位置、結構私は右側に押すことが多いのですけれども、というのは通常、字的に右の方に空間を作りやすい。なので一文字の場合、私は右に押すことが多いのですが、今回は右側の羽になる部分に押すと、重たくなって邪魔だなと、自分ではこの部分で線質を変えたりして工夫しているところで、ここに赤いのがあると、そこに目が行ってしまって邪魔くさい。どちらかというと左の『楽』が寂しいでしょう。一文字にしても左が右に比べて寂しくなるので、ちょっと色を付けてみようかなというところですね、今回は。空間を生かすのか、そこを埋めるのかだと思います。皆さんも落款の位置悩みますけど、ポーンと間が空いた時に、その間が良い、そこに赤を置いちゃうと間が死んでしまこともあるし、逆に間が悪い空間があれば、そこを埋めてあげないといけない。で、全体のバランスを戻してあげるというところで落款の位置を選んでいます。ですから今回は敢えて通常私が押す右ではなく、左に押しました。
質問者:わかりました。ありがとうございました。
司会:ほかにいかがですか。仲本先生、言い残されていることはございませんか(笑い)。
仲本:言い残していることはとくにはないかなあ(笑い)。佐々木先生がおっしゃったように、私も九歳から書道をやっていますので、46年、今年で47年目に入ります。今55歳ですからよくよく計算すると、人生のうちの8割以上が書と一緒にいるという形になります。そして、臨書というのは子供のころはお手本を見て書くという作業で、臨書などという言葉は使わず、ただ普通に書いていました。最近、顔真卿の展覧会が国立博物館でありまして、見に行きました。そこにいろいろな作品が出ていまして、甲骨文から空海まで歴史を追っていろいろな作品が出ていたのですけれども、その中の顔真卿の三十代から四十代に書かれた書に「あ、これ俺だ」と思ったんですよね。これ、おれの書体と一緒だって思いました。というのは蔵鋒なんですね。蔵鋒というのは線の頭が蚕の頭ようで、尖ってなくて丸くなっている。やわらかい筆を内側に入れて書くとそういう蔵鋒となる。顔真卿はそのころ蔵鋒で書いていた。確実に左より右が太くて、中は、『目』だったらその中は確実に少し空間がある。私は聞いたことないんですけど、たぶん顔真卿のあの流れの書体が日本書道学院の中に脈々と流れていて、それがずっと四十何年間書き続けて、顔真卿を久しぶりに真剣に見た時に「ああ、これ一緒だ」と思ったんです。そこまでわからなくても、そこに気づくかどうかは別にして、脈々と皆さんの中に今まで書かれて練習してきたことが蓄積されてるんですね。だから日々のそういう蓄積を続けて、その中からいかに殻を破って出ていくかという作業、これを常に繰り返していくと、作品作りではいいものができるのではないかと思います。以上です。
司会:ありがとうございました(拍手)。臨書することの重要性、そこで学び続けていくことでその境地まで自分が達していけるようにご努力されているということ、すごく伝わってまいりました。ところで、何で日偏をやめたんでしょうか(笑い)。
仲本:(笑い)そうですね、書く字がないというのも一つですけれど、これまではただひたすら頑張れる字を、ということで日偏の字を、小品でも『大事成胆在』などをずっと選んできましたが、そろそろ喜んでもいいかなというところで、今後は喜びの言葉を書き続けたいと思います(笑い)。
司会:ありがとうございます。皆様よろしゅうございましょうか。では、仲本先生、今日はありがとうございました。
仲本:ありがとうございました(拍手)。
司会:先ほどフリートークいただきました佐々木早風先生と、只今の仲本竹峯先生のお二方、本日は本当にありがとうございました(拍手)。
佐々木・仲本:ありがとうございました(拍手)。
司会:最後までご清聴いただきましてありがとうございました。これにて本年度のフリートークを終了させていただきます。あとはごゆっくりご覧くださいませ。ありがとうございました(拍手)。
(文責 山口芳雨)
いかがでしたか?
来年はご参加くださいね(^○^)
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